ページ

2010年12月26日日曜日

青いパパイヤは成長する

「青い」という言葉から連想する言葉は
未熟、青春、つたなさ。

その「青さ」故、すぐに壊れてしまいそうな不安定さと、またうらはらに瑞々しい生命力。
往々にして人はその「青さ」に魅了される。

先日、映画『青いパパイヤの香り』を見た。
『ノルウェイの森』の監督トラン・アン・ユン監督のカンヌでカメラドールを取った、出世作である。


あらすじを簡単に述べるとすれば、ベトナムの使用人の少女が大人になる過程を描いた、少女の成長物語である。

多くの古典的な物語がそうであるように、物語の大テーマの一つは「成長」である。

サリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて』で少年の壊れ行く自我の中で「成長」を描いた。村上春樹もまた、そうした成長物語が好きだという。
『ノルウェイの森』は喪失をテーマにした少年の成長物語である。

少年たちの成長物語とは。
想定外な出来事と自分が思い描いた通りには動かない世の中に
抗い、抗いきれず、時に失い、時にその喪失の痛みに耐え、選び取り、男の子達は青い皮を自ら塗り替えて行くものである。


しかし、少女の成長物語はまったくもって違ったものだ、と私は
つねづね思う。

少女たちは、「受け入れる」ことで成長していく。

人生における様々な予期せぬ出来事に、おののき、しかし、それを受け入れることで少女は確実に成長するのである。


映画『青いパパイヤの香り』で印象的なシーンはなんといっても
青いパパイヤを少女が、そして成長して女になった少女が同じように剝くシーンである。

パパイヤを半分に切ったときにでてくる、真っ白な種に指先をあて、触れながら、少女時代もそして成長して女性になった少女も同じように、その神秘にまばゆい視線を送る。

もし、少年たちが、青年となって、同じように青いパパイヤを剝いたならば、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の主人公のごとく回想に耽るに違いない。
青き日々の自分に想いを馳せながら。

しかし。少女は、ずっと少女のまま、神秘の目線を青いパパイヤに送る。

彼女たちは人生を受け入れながら成長するからだ。
それは、ともすれば、人生は自分の意志とは関係なく動くものだということを、早い段階から知っているからかもしれない。

受け入れ、底を深め、籠を大きくし、また受け入れながら成長していく。
だから、少女はずっと少女のままなのである。

映画の最後に、数年来つとめ上げてきた家が貧困になったため、大人になった少女は奉公先を突如、解雇され、別の家へと奉公に上がることとなる。

大人になった少女は自分のままならない人生にむせび泣く。
しかし、彼女は抗わない。
人生に従順に、受け入れる。

そして、また青いパパイヤを剝いては、その真っ白な種に神秘の目線を送るのだった。
完熟に近いパパイヤ

青いパパイヤは東南アジアではサラダとして食べられる。
青いパパイヤの実はたんぱく質の分解作用があり、肉料理などど合わせると消化促進の効能があるという。
青いパパイヤの種は真っ白である。

日本では完熟したものが果物として売られていることが多い。
その実は、甘みが強く、独特の癖がある。
この時、種は真っ黒に近い。

私は少女の成長を思う。

色々なものを受け入れ、少女はパパイヤの種のように円熟して
黒くなっていく。
その実はまた独特の芳香と甘みを発散し。

しかし、大人になって尚、少女の目は少女のままであり、いつまでも青いパパイヤなのだ。

パパイヤのフルーツチーズクラッカー
1、クラッカーの上にフルーツチーズをもる。
2、その上に切ったパパイヤ(完熟)の実をのせる。
3、お好みで、ミントをさらにトッピング。


白ワインのあてにどうぞ。
フルーツチーズは、デパ地下のチーズ売り場などで手に入ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿